■鎖


その女は玩具だった。
そして、奴隷で、はけ口で、恋人だった。

***

女が俺の前に現れたのは、忘れもしない、あの長かった魔族戦役が,まだ中盤に差し掛かった頃。
崩れかかった戦線を、強引に立て直そうと一騎駆けで強引に突破した功績……いうなればただの無謀にも似た蛮勇で勲章を貰った、そんな翌日の深夜。
新月の晩、音も無く、ヤツは突然に俺の寝所へやってきやがった。
運よく気がついたのか、気がつくようにしたのかは知れないが、ともあれ、俺は死ぬ前に気がついて飛び起きることは出来た。
暗くて分かりづらかったものの、それでも理解できる均整の取れた美しさと特徴のある耳から、一瞬、森の民かとも思ったが、それにしてはあまりにも雰囲気がありすぎる。

要するにつまりは、魔族。

それも一流……魔将クラス。状況から考えて、おそらくは先の戦の指揮官。
このクラスになると、気を抑えないのではなく、もはや気が抑えきれない。大きすぎるのだ。
それが俺の所まで来たということは、当然、誰か呼ぶことなど出来無いことを意味する。
まあ、俺も戦士だけに手元に武器の一つぐらい無くもなかったが、だからといって上級の魔族相手には丸腰に近い。勝ち目はない。
無論、諦めるのが性に合わない俺としては、どう足掻こうか考えをめぐらす。

だが。
ヤツは一通り俺のことを楽しそうに見回すと、優しくゆっくりと俺にひざまずいた。
それも、見るからに丁寧に、恭しく、明らかに目上の者に対する態度で。
「貴方の物になるから、傍に置いてほしい」
まるで懇願するかのような物言いで告げ、もし不安なら力など封じればいいと、俺に封魔の首輪さえ寄越した。
もともと敵の魔族、しかも所有物にした女など好きにすればいいとさえ言い、頭を垂れた。
それは一切の無条件降伏。魔族にとって頭を垂れるとは、もはや土下座同然である。

女が出した唯一の条件は、手元に置いておくこと、ただそれだけだった。

……意味が分からない。
確かに、俺たちは魔族に対し、有効な手段を手に入れた。でもそれは準備無しに用意できるものでもないし、こいつみたいなヤツを即座に屈服させる手段ではありえない。
戦はまだ何年もかかるだろう、戦わなければ蹂躙される立場になるだけだから。
この戦は、生物としての縄張り争いだ。
自分のシマを守るためなら出来ることはなんでもする。
お互いにそうだったし、これからもそうだろう。
だから、もしかしたら、コレもそういうことの一つなのかもしれない。

そんなことを考えながらも、俺は即座に首輪をかけ所有物にした。
魂胆があろうがあるまいが知ったことか。
使えるなら使うし、使えないなら屈服させるなり見せしめにすればいい話だ。第一、この場でやりあったところで、俺の生存確率などどれだけあったものか知れない。
選択肢がないなら、あとは俺の好きにすればいいだけの話だ。

実際、首輪をかけてみれば、確かに言う通り、それは強力な封魔の道具で、女の見てくれからは想像もできないような魔力をしっかりと封じている様子だった。
体力や生命力までは落ちる様子では無かったが、ほぼ人間の女と同等の行動しか取れないようで、驚くほど簡単に従わせることが出来た。
もしかしたら、ということは考えないでもなかったが、詮無い事を考えるヤツは普通、絶望的な状況での一騎駆けなどしない。
だからこそ俺は俺なのだし、それで何も問題は無かった。駄目だったらそれまでのことでしかない。

そして、仲間の仇であり俺の敵であり、尊敬すべき相手であり、蹂躙すべき輩であるモノを手に入れた俺は、およそ一通りのことを試してみた。

女は、さまざまな面において優秀だった。
話術、策略、趣味、闘法など、知識や教養、魔術、身体操術に関すること。
拷問、隷属、虐待、性奴など、被支配者として従わなければならないこと。
どう見ても非常に便利な存在だった。
使えばこいつ無しじゃいられなくなる。これは「そういうモノ」だ。

ただ、俺は俺としてそんなつまらない堕落などはしたくなかったし、打ち出の小槌を味方で取り合いになるような真似をしたいとも思わなかった。
だからこそ、俺はひたすら道具として扱った。便利な知識を引き出すわけでもなく、ただ欲望のはけ口やストレス発散の存在として不条理な虐待行為を繰り返した。
女は何にでもよく従ったし、気持ちいいほどに怯えた。必要なだけ媚びた、必要なだけ媚びなかった。
そして、それとは別の理由で、俺はいつまで経っても飽きなかった。

……女の「目」が、そうさせなかったからだ。

どこか、上からの目線をいつも持っていた。虐げられ、性奴隷として扱われ、目的の無い行為をされるというのに、だ。
「魔族様が人間如きにいいように扱われる」のを愉しんでいたようにすら思える。
そして、常にどうしたら気に入られるかを探し続けるのだ。たとえ、そんな方法がまったく無かったとしても。むしろ、その行為自体が気に入られるための行為だとでも言うように。
人は、犬を伴侶にしたように、自ら従うものを追いやることは出来ない。
だから、俺は女を支配し続けたし、揶揄されないようにするだけのことは徹底して成し遂げた。
数々の戦功を上げて自力で将軍の一人にまで登り詰め、20年かけて、魔族を北の大地へと追いやった。俺の手元に残った所有物を除いて。

戦が終わってみれば、いつの間にか辺境の領主となっていた。
俺は、俺の知る限りはいい領主だったし、器用ではなかったがそこそこ処世術にも長けていると思う。少なくとも俺が生きている限りは、領土で問題が起きることもないだろう。おそらくは、それほど困ることもあるまい。

そんな俺に ただ一つだけ問題があるとすれば、俺はもう、所有物を手放せなくなっていた。
やりたいことは一通り試した、やりたいだけやった。おかげで俺はそれほど欲も無かったし、女を手元に置きたいがために戦えたとも言える。

言い換えれば、俺は、女のために戦に赴いたのだ。
鎖で繋いだ女のために。

若いころはともかく、戦も終盤になるにつれ、女に当たる事は無くなった。
やりたいことも恨みも想いも理想も、大体は吐き出してしまったらしい。おかげで、残ったのは、さほど欲の無い現実主義者でしかなくなっていた。
女に向き合う度、自分自身を見せ付けられた。女にしていたことは全部、自分の裏側だった、闇だった。そして、汚い自分をさらけ出していることには途中から気付いたが、それでも、分かっていながらなかなか止まらなかった。
今にして思えば、女は、初めからそれをわかっていた故に嗤っていたのだ。
戦が終わった今はそれももう、必要ない。

だから、20年かかって、やっと、俺は女の首輪を外した。
だから、20年前と同じ顔で、女は言った。
「飼われるって言うことはね、飼い主を鎖につなぐのと同じことよ」
言われて、初めて気付いた。
鎖を掛けた以上、その片端を持っているのは俺だったことに。
捕まえているためには、ずっとそれを握っていなければならなかったことに。
女は、最初からそのつもりだったのだ。

「……あのときから貴方に一目惚れだったんだからね?  ふふ、やっと言えた。」
女は、やはり笑っていた。
これまでにない最高の微笑みで。



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